2012年4月21日土曜日

Taylor Kitsch in 『ジョン・カーター』鑑賞。


Taylor Kitsch


テイラー・キッチュ主演作。
原題;John Carter
2012年3月9日 アメリカ公開。
2012年4月13日 日本公開。


映画館で見ない?
DVD化まで待つ?

それは、もったいない。


テイラーキッチュ主演の『ジョン・カーター2D(字幕版)』を鑑賞。
メガネっ子につき、メガネonメガネは映画に集中できぬため、2Dを選択。



実に丁寧に作られた作品。

まずは脚本。2時間13分と、昨今の映画においては長尺の上映ながら、中だるみもなく、丁寧に描き込まれた脚本。

次に撮影スタイル。
最近のSF映画では、もはや常套手段となったCGI。本作では、そのCGIに依存せず、火星バルスームの世界観を、アメリカのユタ州で撮影。大自然と科学技術の融合した景観に、CGI特有の不自然さは微塵もない。乾いた大地。荒涼とした風景。土ぼこりが舞い、ざらつく空気。それらはどこまでも生々しい。異世界の描写に、果敢にも実写で挑んだ、丁寧な作品作りである。

そしてなにより、役者陣。中でも主演のテイラー・キッチュが巧演。

戦争で英雄となり、晴れて名誉の帰還を果たすも、皮肉にも、その戦争によって、愛する妻子を失った主人公ジョン・カーター。運命のいたずらが、彼を火星バルスームへと、いざなう。図らずもバルスームの存亡をかけた救世主となるが、その現実を自覚しつつも、全身を蝕む無力感から、一度は、その使命を放棄する。キッチュは主人公カーターの、己に対する深い絶望を、瞳の光彩で鮮やかに演じる。やがて使命を受け入れ、立ち上がるカーター。意志に光り輝く瞳に、躍動する肉体は、まるで別人。キッチュ、お見事。

そしてカーターを、心技一体の英雄たらしめる正義感を、キッチュは高い身体能力に裏打ちされた確かな演技力で、まるで身体の奥底から本能的にわきおこるかのように体現。

聡明さと、純粋で明快な無邪気さ、穢れのない崇高な魂。人々をひきつけてやまない、多面的な魅力を持つカーターを、キッチュは丁寧に表現。民族、人種の垣根を軽々と取り払い、一つに束ねるカリスマ性を発揮している。 たとえ埃にまみれようとも、血に染まろうとも、カーターのいる所、まるで灯火のように明るく、まさに真のリーダーであることを、十二分に演じ切っているキッチュ。

***

この映画を「バジェットの大きなSFアクション映画」とくくるには、惜しい。

バルスームにおける、私利私欲にまみれた無意味な対立は、まさに、こんにちの地球の現状そのものであるし、それらの対立が、バルスームと同様、地球を滅亡へといざなっているのは、周知の事実だ。 重力の関係で、バルスームでは自由自在に飛び回る事の出来る、カーターの驚異的な「跳躍力」は、アクションとしての娯楽性はもちろんのこと、なにものにも縛られることなく、民族間の敵対感情を飛び越えてみせる「跳躍力」とも見てとれる。

もはや国家レベルではなく、地球レベルの存続のかかった、世界各地で勃発する内戦。刃先を綱渡りでもしているような、不安定な世界情勢の末路が、このバルスームに暗示されているというと、いささか、買いかぶりすぎだろうか。この地球を再建することができるのは、カーターのような、常識を超えた「跳躍力」の持ち主にほかならないのだという示唆すら感じる。

また、主人公ジョン・カーターの個人的な問題に立ちかえれば、この物語は、人間の「死」と「再生」を描いているともいえる。喪失と絶望に飲みこまれ、何もかも、いっさいがっさいに無関心となり、心を深く堅く閉ざした人間が、突如、天賦の才能を授けられ、天命を与えられ、一度はそこから逃げ出すも、自分のためにすら生きてこなかった人生を、命を、人々のために捧げようと決意し、立ち上がる。それが翻っては、再び自分の人生を生き直す原動力ともなっていく。

ひたすらに「利己」にひた走る、どこかの国の政治家に、聞かせてやりたいくらいだ。

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『ジョン・カーター』に関する予備知識といえば、多くのSF大作の礎となった作品であることくらい。ほぼ、まっさらなアタマで本作を鑑賞した。パンフレットによると、バローズの「火星シリーズ」全11作の様々な要素を選出した作品が、本作であるとのこと。「火星シリーズ」を再構築した、ある意味、オリジナル作品として、映画『ジョン・カーター』を楽しむのが、一番良いのだろう。シリーズものをまとめた作品が、しばしば陥りがちなのが、欲張って要素を詰め込みすぎたあまり、着地点の全く見えぬ、散漫な結末を迎えてしまうこと。その点においても、本作は成功と言えるだろう。

ただ一つ。バルスームの支配に燃え、権力欲にかられるサブ・サンを裏で糸引くマタイ・シャンが、一応の所、本作のラスボスとして描かれているものの、マタイ・シャンの言動を見るかぎり、彼を突き動かしているのは、支配欲というより、「盛者必衰の理をあらわす、おごれる人も久しからず 、ただ春の世の夢のごとし」に表される、栄枯盛衰の世界を、絶えず観察し、そして少しだけ介入して、宇宙の害となる星々を、早期に消失させる任務にあるように思えた。であるならば、マタイ・シャン「悪役」としてではなく、「監視者」として描き、浅はかな対立を繰り広げる、愚かな民にフォーカスすべきだったのではと思料する。

何はともあれ、映画館で見る映画として、及第点のとれる作品であろう。


【個人的つぼ】

ジョン・カーター
恐らく私は、完璧に均整のとれた見事な筋肉質の体躯ながら、いわゆる「小麦色に焼けた肌」にあらず、「きめ細かな白肌」の美男子に、とびきり弱いらしい。 ご多分にもれず、大画面にドドーンと映し出されるキッチュに、またしても完全にロックオンされてしまった。

それにしても『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』でのガンビット役しかり、キッチュはこの上なく長髪が似合う。奇しくも『ジョン・カーター』と同日公開で、同じくキッチュが主演の『バトルシップ』では、海軍の将校らしく短髪だが、こと容姿の点に関しては、個人的には200%『ジョン・カーター』推し。



ガンビット
『Savages』という新作も控えているとのことだが、まずは、彼の出演作のうち、日本で視聴可能な『カイルXY』、『モテる男のコロし方』、『スネークライト』『コベナント 幻魔降臨』(副題が…ね。。)、『バンバンクラブ‐真実の戦場‐』のうち、未見作品を観てみようと思う。