2013年4月19日金曜日
『舟を編む』鑑賞。
松田龍平 主演作。
2013年4月13日 公開。
いちから辞書をつくることに人生をかけた人々の、15年を追った物語。
たった一つのことに傾注し、文字通り、人生を捧げる生き方。
その生き方を、あなたは無為と言いきれるか。
答えは、この映画の中にある。
【意義のある人生とは】
馬締たちが、陽の当らぬ場所で、こつこつと作業を積み重ねていく様子は、決しては華やかとは言い難い。地味だ。しかしながら、毎日毎日、傍から見れば単純で退屈ともいえる作業を気を緩めることなく、地道に積み重ね、壮大な目標までの途方もない道のりを、愚痴一つこぼさず、弱音一つ吐かず、愚直なまでに誠実に、そして情熱を込めて、一歩一歩進んでいくその背中は、とにかく格好いい。
結局のところ、惚れてしまう生きざまというのは、見た目の輝かしさではなく、志をもって積み重ねられた日々の結晶なのだと、はたと気づかせてくれた、馬締の背中であった。
資格や経歴が社会でモノを言うことは重々承知しているが、厚みのある人生を形作るのは、資格や経歴だけでなく、生きることに対する誠実さと情熱なのであろう。
【松田龍平氏、出色の演技】
そんな馬締という人間を、そして馬締がこれまで歩んできた人生の軌跡を、ヘタな小細工なしに、佇まいであったり、息を吸って吐く、そういった実にシンプルでいて、それでいて人間の最も基本的な“日常”で、確かに表現してみせる松田氏は圧巻。決して押し出しの強いキャラクターではないにも関わらず、常に確かな存在感を醸し出している馬締。かといって、その存在感で、他者の存在を飲み込んでしまうわけではない。まさに馬締ならではの存在感。 加えて、注目すべきなのが、馬締としての松田氏の演技は、その場の空気も何もかもを掌握して、全てを我が色に染めてしまうタイプではなく、多種多様な演者の“色”を一つ一つ、丁寧に受け止め、そしてそれらを調和し、融合していくタイプであること。それはまさに、15年もの歳月を辞書づくりに捧げる人々の心を束ね、そして牽引し続けることのできた馬締の魅力と人柄そのものである。 この映画は、松田龍平氏なくしては成立し得なかった映画であろう。
【無音であることの価値】
昨今の映像作品は、安易に音楽に頼りがちであるとの嘆きや苦言をしばしば耳にするが、本作はその種の音楽が皆無である。辞書づくりの過程で、馬締たちには数々の“出会い”と“別れ”が訪れる。一般的には、そういった場面を情感豊かな音楽でダイナミックに表現するのだが、本作では、会話の中でふっと生ずる“しばしの無言”であったり“空気の微かな揺れ”で、こういった場面を表現している。我々の日常でも、まさにそこに心の機微がスパークしているわけで、それら“煌めき”を音楽で上塗りせずに描いた本作の描写力は実にすばらしいと思う。
ただ音楽に頼れないというのは、裏を返せば、役柄の心模様を繊細に丹念に演じられる役者を揃えなければならないということであり、本作は、そういった若手の役者が日本にも確かに育っていることの証でもある。日本映画界の展望は明るい。
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確かな演者によって、丹精こめて編まれた133分。近頃の映画からすれば長尺の上映時間にあたるのだろうが、冗漫さは全くなく、かけがえのないシーンばかりであった。かといって、作り手の気迫に気圧されて肩が凝ってしまうような作りでもない。静かなる感動。そして観終わったあとも、確かに根付く感銘。実に心地の良い133分であった。
余談ではあるが、本屋にならぶ数々の辞書、その一冊一冊に、本作のようなドラマが秘められているのだと思うと、上映後、思わず、辞書を買い占めたくなったのは言うまでもない。
…以上、馬締くん、私の日本語に誤用はございませんでしたでしょうか(笑)。