Michael Fassbender出演作。
原題;X-Men: First Class
2011年6月3日 アメリカ公開。
2011年6月11日 日本公開。
『X-MEN』シリーズ史上『最高傑作』との呼び声高い本作。
そんな傑作と向き合う心構えを整えるに
『ジェーン・エア』でファス殿のファンになって以来、177日も要してしまいました。
こう見えてdita、意外と緊張しぃです。
【あらすじ】
裕福な家に生まれ、名門大学に通うチャールズ(ジェームズ・マカヴォイ)は強力なテレパシーを使うことができるミュータントだったが、自分と同じような能力を持つ者の存在に気付き始めていた。やがて強力な磁力を発生させ、金属を自在に操ることのできるエリック(マイケル・ファスベンダー)と出会う。彼らは親友となり、自分たちと同じような若者たちを探し始めるが……。
(CINEMA TODAYより)
■友愛を超えた友愛。CharlesへのErikの想い
【陰陽互根】
陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することで己が成り立つ考え方。(Wikipediaより)
二人の関係性は正に「陰陽互根」であろう。Erikは、Erik独りではErikたり得ない。最高の友にして、固い契りを交わした義兄弟。そして文字通り、命に代えても守り抜く最愛の人、Charles。彼がいてこそ、ErikはErikたり得る。Charlesと出逢っていなかったErikのそれまでの人生は、生きながら死んでいたも同然であったろう。ErikにとってCharlesとは、燦々と輝く太陽であり、そっと柔らかく路を照らす月であり、人生の進路を示す道標であり、剥き出しの魂を受け入れてくれる母であり、己の闇をも愛してくれる、無償の愛である。
Erikにとって、Charlesは唯一無二の存在なのだ。それはまた、Charlesにとっても然りであろう。
そんな二人の関係性が、最も色濃く描かれていたのが、CharlesがErikの心を読むシーン。
Charlesは、Erikの痛み、怒り、哀しみ、喜びにリンクする。Erikの全てを分かち合うCharlesとErik。
剥き出しの魂と魂が溶けあい、一つに結びつくさまは、感動的であると同時に、官能的ですらあった。史上の平安に満ちており、他方、極上の花の蜜のように甘美で濃艶で美しい、二人の「魂の融合」。誤解を恐れずに言うなれば、それはまさに「セクシュアル」だったのである。「セクシュアル」。言うなれば、互いが、魂の根幹から結ばれていることの「証」と言えるであろう。
■流石はシリーズ最高傑作
社会的マイノリティーが人間社会を守るヒーローとなる。
そのアンビバレンスな相互性によって、社会の闇を、色濃く浮き彫りにしてきた『X-MEN』シリーズ。 ここで言う「社会の闇」とはつまり、「社会の規範、通念から食み出した者」或いは「未知なる者」を即刻、排斥の対象とする、人間社会に根深くはびこる「病巣」のことである。
一作目から一貫して、社会に跋扈する「悪しき排他的思想」を取り上げ、 社会的メッセージを訴求する娯楽映画として成功を収めて来た『X-MEN』シリーズだが、 本作はその中でも、評判に違わず、傑出した作品といって過言ではなかろう。
あらゆる社会的マイノリティーが、 社会によって、終生抱き続けさせられる苦しみ、哀しみ、怒り。 ミュータントの姿を借りて、社会的マイノリティーの「痛み」を繊細に丹念にすくいとって、 スクリーンに焼き付けたMatthew Vaughn監督の手腕たるや「素晴らしい」の一言。
この映画が素晴らしいのは、その高いメッセージ性だけでなく、至福の娯楽性にもある。 たとえば、コミックのコマ割のようなシーン展開。流石はコミック『キック・アス』の映画化で、観客を唸らせたMatthew Vaughn監督。遊び心が満載で、目にも楽しい。 また、エンドクレジットや映画の端々に、『007』を彷彿とさせるシーンがあり、心にくい。
加えて、本作が、従前の『X-MEN』シリーズと一線を画すのが、アクションである。 本作ではド派手なアクションがない。 全編を通して、大仰さが皆無であるからこそ、真に迫る映像に昇華されている。
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『X-MEN :ファースト・ジェネレーション』は、鑑賞後まもなくの「衝撃」もさることながら、脳に刻まれた「衝撃」が時間を経るごとに化学変化を起こし、脳に心に、奥深く、無限に広がり、果てなき余情を残す、忘れ難き映画であった。Blu-ray購入を即決定したのは、言うまでもない。Michael Fassbenderファンのみならず、全ての人が満足できる作品だ。