2012年12月19日水曜日

『007 スカイフォール』鑑賞。




Daniel Craig主演作。
原題;Skyfall
2012年10月26日 イギリス公開。
2012年12月1日 日本公開。


個人的には、ダニエルボンド史上、最も異色の作品。


■「後ろ」を振りかえるBond

本作において、James Bondの真の障壁は、悪役Silvaではなく、「過去」であろう。それは敵のSilvaにおいても然り、である。

つまり、『スカイフォール』の軸の一つは、「それぞれが背負う過去にある」と言い換えても良いかもしれない。

「過去」は人をステップアップさせる「踏み台」であると同時に、人を狂わせる「凶器」でもある。

Silvaは「過去」への妄執に囚われるあまり、自我を破壊してしまった。
対し、ボンドは「過去」と真正面から向き合い、自我を再構築した。

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常に振り向かず、前を見据えてきたBondにとって、「過去」とは一体、何であろう。

それは「伝説」の名にふさわしい、数々の「偉業」であり
その偉業を生み出すために流れた「歳月」であり
その歳月によって、無情にも剥奪された「肉体の最盛期」である。

そしてまた、Bondを「007」へと再製せしめた、幼き日の「事件」である。

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国家を守る「大義」と、美女との「ロマンス」に織られた「極上のスーツ」に身を包み、華麗にして大胆不敵、冷徹非情に活躍。完全無欠、絶対にして無比の存在。その象徴であるBond。

それが従前のBond像ならば、本作のBondは、全くの逆を行く。原動力は「個人的感情」であり、剥き出しの魂を垣間見せながら「過去」と対峙し、老いさらばえた身体に鞭打ちながら「過去」に戦いを挑むのである。

そんなBondの姿に観客は、Bondも「生身の人間」であることを、そして、Bondにも「幼き少年の日々」があったことを喚起させられる。

今までになく、血の通ったBondを魅せつけられた観客。
その目に、命を懸けてMを守ろうとするBondは、如何ように映ったであろう。

任務のためとあらば、命を捨てても惜しくないと考える、大義の公僕か。

私の目には、「母」を想い、「母」のために奔走し、「母」のためならば、すすんで命を投げ出す「子」に映った。

ダニエルボンドには、これまでも、従来のBondとは異なる、激情や熱情といった、激しい感情のうねりを感じていたが、今回はより一層、人間が本来持つ「心の機微」を感じ入り、良い意味での「人間くささ」を嗅ぎ取れた。

今までにない、鑑賞後の余韻である。

それまで「亡きもの」としてきた「過去」と、初めて正々堂々と向き合ったBond。
「過去」を弔い、野辺送りにしたBondの姿に、何か、吹っ切れたような決意を感じた。

一作目で「愛」を知り、二作目で「決別」を刻み込まれ、そして、三作目の本作で「再生」を果たしたBond。
自我を再構築したBondが、ここに再誕した訳である。

■MとBond

本作の「真のボンドガール」であろう、M。
屹然とした態度でBondを守り、いついかなる時も、Bondを信じ続けるMの存在と温もりは、Bondにとって、幼き日に亡くした「母」にも等しかったのではなかろうか。

「母」を亡くしたBondは、今後、どうなっていくのか。
また新しいMは、ボンドにとって、如何なる存在となるのであろうか。「父」となるのか。それとも「兄」となるのか。はたまた…「敵」となるのであろうか。

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Bondの「核」に焦点を当て、Bondの内的問題を掘り下げた本作。次回作は、一体、どんな切り口で展開されるのか。全くの未知数だ。

個人的に本作で一番の見どころであったのが、最高の相棒Aston Martinが、敵Silvaの手によって、無残にも「爆死」させられた瞬間の、怒りに震えるBondの表情。痺れました。